思いが筋肉をコントロールする

人間の骨格を形成する骨格筋のほとんどは随意筋で、意識で動かすことが出来る筋肉です。手を動かす、脚を上げる、体を捻るこれらの動きは人の意識下にあります。そして技や芸を体に教え込むように訓練をしていくと、難しい、あるいは華麗な美妙な動きも出来るようになっていきます。

私は過去20年近く、気功や武術を通して筋肉の使い方、動きについて研究してきました。人が何年かけて訓練しても出来ない動きを「思う」ことで、常人からみたら信じられないパワーや動きをつくることが出来るということに気が付きました。

随意筋とは自分の意思で動かすことの出来る筋肉とはいっていますが、筋肉のひとつ一つを自由に動かせる訳ではありません。「指を動かす」と脳が命令をすれば、なんとなく動くのであって、特定の部位の筋肉を指定して使って動かしている訳ではありません。またそのような事を考えて動かしている人はいないでしょう。

以前より私は、一つの動きをつくる時に、自分で指定した筋肉を使って動かす訓練を行ってきました。その結果、ある程度筋肉を使い分けて使えるようになってきましたが、まだその先にある細かい微細な動きや、より強いパワーを作り出す筋肉の使い方は会得出来ずにいました。

筋肉のそれぞれの部位を個々に動かし、更にそれを連動させていくと、微妙な使い方が出来るようになってきます。そしてそれを意識的に訓練をしていけばある程度に使えるようになっていきます。とは言っても長年修行し会得出来ることであって、昨日今日始めた訓練で掴むことはまず出来ません。ですから、それを越した人を名人と呼び、卓越した名人技が存在するのでしょう。

筋肉は考える

筋肉は、筋肉自身がそれぞれ考えて動いているのではないかと思います。

たとえば楽器の演奏です。

演奏者は、左手と右手の動き、さらには譜面を見て、その指示の通り弾かなくていけません。初心者は譜面を見て、理解し、その指示された音符どおりに指で追っていきます。慣れてくると、譜面を見ただけで指が勝手に動いていきます。

目で見てそれが脳に伝わり、そして指や手に命令を送る。そんな手間のかかることは熟練者の中では行われてはいません。勝手に筋肉が動いているとしか思えません。

ピアノなどは、多くの場合、右手はト音記号、左手はヘ音記号の指示に従って弾いていきます。それを瞬時に行える訳で、それを一々脳を経由して筋肉が反応しているとは考えにくい話です。初心は脳を経由して指の筋肉に覚えさせ、筋肉が進化していくと、筋肉が音符を勝手に解釈して動いていくと考えられます。

職人の動きや技もそのようなところがあります。熟練された指先は微妙な感覚を捉え、間違いのない形を作りあげていきます。人と会話をしながらも精巧なものを作っていく技からは、脳と手が連動しているようには見えないし、とても意識が筋肉を動かしているとは思えません。そのようなぎごちない動きではありません。

思いがつくる動き

初めて微妙な動きをつくる時、筋肉にとっては未体験です。筋肉が思考を持ったとしても、想像してまで動きつくることは出来ないでしょう。またそれを意思で命令しても、経験のない筋肉はどのように動いていいのか分かりません。そこで訓練することになりますが、意識下で積極的に「思い」をつくることで、筋肉がまだ知るはずのない動きを作りだすのです。

「思い」をつくることで、理解出来ない何かが筋肉に働き、常人が理解できない微妙な動きをつくることが出来ます。

でもその「思い」は具体的でなくてはいけません。「こうやれば、こうなるだろう」というような空想からは生まれません。「想い」ではないのです。

想像を超える力

「思い」をつくることで、パワフルな動きや。ごく微妙な動きを作れることが解りました。

これまで「思い」について、先人からいろいろ学んできました。それは「思い」によって人生が変わり、病気がつくられることです。「思い」の弊害をいやと言うほど味わってもきました。ならもっと積極的に「思い」を作り、行動したらどうなるのだろうか?武術の技に取り込で検証してみました。そして思い通りの結果が出ました。以下は直接的な武術の技とは違いますが、読者に分かり易い形で説明していきます。

この力は想像を超えるものです。一人で4,5人の人を人差指一本で押すことが出来ます。5人の人を、前の人の肩を両手で押す様な形で縦に繋ぐようにし、一番前の人は、片手の甲にもう片方の手を重ねるようにして前に突き出してもらいます。それを押す訳ですが、通常であれば相当の力の持ち主でない限り押すことは出来ません。それを最後の人を押すつもりで押すと、いとも簡単に5人を押すことが出来るのです。しかし一番前の人を押したのでは1対5の関係のままで動かすことは出来ません。また一番後ろの人を動かすつもりで「右に行く」という思いを持って押すと右に曲がっていきます。このように自由に操ることも出来ます。

「思い」の作り方でいろいろな技に変化することが出来ます。何故なのだろうか?この様な推論が成り立ちます。押し手の身体全体の筋肉が、「思う」ことで微妙な動きを作り、それが連動されて相手に伝わり、相手の身体を変化させていくものと考えられます。

一人で4人と行う腕相撲。これも「思い」を作ることで相手を制することができます。普通、腕相撲は1対1でその力の優劣を競うもので、このようなことを考える人はいないでしょう。

筋肉の部位を自由に使い分けられるようになった私は、1対1では物足りず、1対3で行うようになりました。それも3人は両手を使っています。つまり1本対6本の腕相撲となる訳です。これが簡単に出来るようになると、それを更に「上まわりたい」と欲は起きるものです。しかしこれを超えるとなると、筋肉を使い分けるだけでは対応できないことが解ってきます。

私の暫くの間の課題でした。ある時に「思い」をつくることで対応できないかと閃きました。そして1対4(1対8腕)の腕相撲を制することが出来るようになりました。(それ以上は腕をつかむ場所がなくなり無理でした)。

受け手の感想を聞いてみました。「力を入れているのだが、足が浮き上がって押されてしまう」腕相撲の場合、「胴から浮き上がってしまう」と述べています。

現在、この力の及ぼし方を細かく分析する能力を持っていません。推測の域を出ませんが、「思う」ことで自分では考えもつかない微妙な動きが作られ、それが次の筋肉に伝達され連動して複合され、伝わっていくと考えられます。また、通常、力を入れると複数の筋肉が一挙に緊張しますが、この場合、筋肉は緊張されずに、複数の筋肉がそれぞれ微妙な動きを作りながら連動していくのではないかと思っています。

五感の影響を受ける筋肉

以前から私は、人間は、五感で感じるいろいろな刺激を受けて、身体を固めていってしまうことを説いています。そしてストレスなどはその典型的な例で「思い」が大きく影響していることも解ってきました。

しかし五感で感じるものだけでなく、直接的に「思う」ことが筋肉のいろいろな部位に様々な形で影響を与えていくことが解ったのです。これは現代人の知識の外にある事で、今まで誰も考えていなかったことではないでしょうか。

任意のある出来事を考察してみましょう。その出来事を「素晴らしい」と思うか「気持ち悪い」と思うかでは、筋肉への影響はまるで違ってきます。自分では制御できない動きが、筋肉の中で勝手に起こっていくのです。

でも勝手にと言っても自分の身体をつくっている筋肉です。「そう好き勝手にさせてたまるか」と、ならないように修行したとします。もし出来たとしても、きっと人間の仕組みのメカニックを狂わすことでしかないでしょう。人間の身体が感じて反応することが最も大事なことなのです。

また「思い」が筋肉を動かすということだけではなく、強い「思い」は筋肉を硬く固めていくことが解りました。その強い「思い」が繰り返されると、硬く固まった筋肉は弛緩されずに「コリ」に変っていくのです。

「思い」は自由に作れます。良い「思い」は筋肉を弛緩させ、悪い「思い」は筋肉を強く固めていくことを知るべきです。

マイナス思考せずにプラス思考しろと、沢山の人が「思い」の大切さを説いています。しかし「思い」が筋肉をコントロールしていることはまだ誰も知りません。

「悪い思い」をして作った筋肉のコリは、運動や仕事などで作ったコリよりも数倍硬く固まってしまうことも解りました。このコリを解すことはなかなか出来ません。このコリを取る最善の方法は「良い思い」をして筋肉を緩めていくことなのかも知れません。

筋肉のコリが病気を作っていきます。私の持論です。私はこの理念の下に多くの人の病気を治してきました。「悪い思い」が筋肉を固めコリを作っているなら常に「良い思い」をすることしかありません。

貴方に筋肉をコントロールする術がなくとも、貴方の「思い」は筋肉をコントロール出来るのです。