マルケ紀行 オリーブとワインの里を訪ねて
22時55分羽田発エールフランスAF0274便は定刻通り離陸した。
何のトラブルもなく順調に12時間15分のフライトを経て、パリ、シャルルドゴール空港に到着した。到着時刻は03時10分、気温は4度。
パリの気候を知らない訳ではないが晩秋の寒さにしては異常である。早朝、いや深夜と言うべきか、ローマ行きのターミナル2Fのゲートはまだ開いていない。5時半に開くまで待つしかない。しかしターミナルの中は寒い。少し早めに開いてくれたが約2時間の待ち時間は辛いものがあった。
2Fターミナルは何度となくニースに行く際に利用しているので戸惑うことなくゲートに着く。まだ待ち時間がたっぷりあったが、ビジネスに変更していたのでラウンジで時を過ごすことができた。軽く朝食も摂った。
遅延もなくローマ行きの便は出発し、そして到着した。
ローマは、到着と出発のコンコースが入り混じった空港である。9時過ぎに着いて直ぐに予約しておいたレンタカー会社を訪ねる。さすがイタリア、手続きに思いがけない時間が費やされる。前の番の人の質問の多いこと、せっかちな私にとっては忍耐を要求されているようだ。
ようやく忍耐から解放されて、最初の目的地チボリに向かう。エステ家の屋敷と噴水を見る為だ。
あいにくの雨、私たちを歓迎してくれないのか?雨を押してエステ家に向かう。
15世紀に作られたこの噴水庭園。「凄い」の一言である。富と権力を持った人でなくては作れないなかったも
のである。この噴水、高低差を利用して作られている。技術も素晴らしい。水でオルゴールの音を作りだす装置。吹き上がった水の作り出す形、通路に作られた水のカーテン、どれを見ても考えられたものである。
庭園に立って下を見ると、かなり下ったところに街や畑を展望できる。領民たちが農耕を行なっていたことは直ぐに想像できる。
乾期が続き水不足の時には、「噴水の為の水を供給して欲しい」との懇願があったようだ。良い為政者であったかどうかはわからない。
どこの国の遺産をみても、権力や富を持った人の作ったものしか残っていないが、何百年かの時を経て、その土地の人たちに「観光」という恵みを与えているから面白いものである。
昼食はエステ家から直ぐのレストラン。トマトパスタに海鮮パスタ、それにサラダ、以下のようなものだ。
目的地
チボリから最終目的地のマルケ(Marchi)へ向かう。道中何事もなかったが止みそうもない雨の中を走る事になった。
雨が止み陽が沈み暗くなりかけた頃、これから4日間宿泊することになっているB&B、La Scentellaに着いた。
石造りのしっかりした建物である。暖房は床暖が使用されている。
経営者のロベルトさんは留守とのこと。この旅の企画と案内を買ってくれた陽子さんに部屋まで案内される。
ロベルトさんは、マルケの地域の紹介をする為にドイツに行っている。夕食の支度ができないので友人のアンナさんに食事の準備を頼んである。ロベルトさんの帰りを待ってそちらに行く。あおんな予定が組まれていた。
最初の日から地元の家庭に訪問して食事の招待を受ける。これはまたとない楽しい機会である。
このマルケの企画をしてくれた陽子さんの最初の計画には入っていなかったようだが歓迎すべき変更である。
家族は、オリーブやワイン葡萄をつくっているアンナさんの両親とお姉さん、そして一緒に住んでいるアンナさんの恋人の??さんの5人である。
食事は地元料理だという。煮込み、自家製小麦で作ったパン、今年獲れた新オリーブオイル、プロシュート、サラミなどで、最後は手ずくりのケーキ。酒は、自家製の白ワインである。どれも美味い。イタリア語に達者な娘は、はしゃぐように会話に参加している。
食べるだけ食べ、飲めるだけ飲んで、サヨナラ。何とも心苦しい夜だったが、お陰様でぐっすりと眠れた。
2日目
今日は収穫と剪定を体験するという企画が組まれていたが、生憎の雨模様、風もある。とても畑には入れない。そこで明日予定の搾油所の見学をするという予定を繰り上げる事になった。
但し、今日は、ベルギーのテレビクルーが昼食に来るという予約を受けているが、その後連絡がないのではっきりとしない。だが、連絡があったらそれを優先しなくてはいけないが、未だに連絡がないので、搾油所に行きましょう。という事になった。(この地域は村と小さな街があるが、レストランというのは見当たらない。アドリヤ海の海岸に行けば数件のレストランが存在しているが、そこまでは小1時間掛かかる。)
郷にいれば郷に従い。お任せである。後10分で搾油所に着くところで買物をしているところに、ベルギーのテレビクルーから連絡が入り昼食に
来るという。ロベルトさんは、帰って食事の支度をしなくてはいけなくなり。目的地を目の前にしてのカンバックである。
私たちゲストとテレビクルーを含めて16、7人の昼食である。トマトスパゲッティ、トマトにモッツアレラチーズを乗せたもの、プロシュート、サラミ、卵料理などを陽子さんも手伝って「あっと」いう間にロべルドさんが作り上げた。
こちらとしてはこれも楽しい。ギッチリと予定が組まれた観光ツアーではない。それならではの過ごし方である。但し会話は、イタリア語とフランス語、英語はない。時より娘と陽子さんが通訳してくれることで、蚊帳の外に追いやられずにいた。
このテレビ番組の中に、ひょっとしたら10秒位、庭を歩いている私の姿が入っているかも知れない。
2時間位大騒ぎして彼らは帰っていった。「食事の後片付けを済ませたら、搾油所に行こう」と、ロベルトさん。今日の計画の最初に戻った。
オリーブ農家 Tiziano Aleandri(ティッツィアーノ アレアンドリ) さん
オリーブ農家が小さな搾油所を持っていて非常に優秀なものを作っている所だそうだ。
この方は、マルケ州のオリーブオイルコンテストで5年連続チャンピオンとなり、その後イタリア全土のチャンピオンとなり、その後はコンテストには出られなくなり、殿堂入りだそうだ。
搾油工程
1 洗浄
2 葉の除去
3 粉砕と練る
4 遠心分離機でオイルを抽出
5 フィルターに掛ける
6 窒素を加えたタンクに貯蔵する。あるいは直接、ビンや缶に入れ密閉する
収穫してから24時間経過させない。オリーブはとった時点で酸化してしまうので、それ以上時間を置かないで搾油作業をしていく。
以上が搾油工程である。
この農家さんが作っている品種は、私の所と同様の、フラントイオ、レッチーノ。
第2に訪れた搾油所
この工場は、地元の人たちの搾油を一手に行っているところで、収穫時には20時間も工場を動かしているとのこと。しかし、時期が過ぎれば仕事がなくなるので、この時期に一気に稼いでしまうという。忙しい訳だ。
この工場では、伝統的な回転石臼による砕きを行い、それをフィルターを挟んだところに粉砕したオリーブを挟み、プレスするというもので、やっている感のあるのもだった。この工程で24時間以内に搾油したものをエキストラバージンオイルという。
また、Tiziano Aleandri(ティッツィアーノ アレアンドリ) さんの所みたいな新方式も取り入れているが、地元の人の多くは、今までの石臼式のものを好んでいるという。
石臼式では、石臼で砕いて絞る時に空気にさらされる。新方式のように、オリーブ本来の鋭いテースト感は失われるが、その代わりまろやかになり、それが地元
の人に好まれているようだ。 ここで使われた絞りカスを買い求めている業者もいるという。水や他のオイルで薄めて安いオリーブオイルを作るためだという。24時間以内に絞ってあるのだからエキストラバージンオイル?という屁理屈も成り立つが、これらが日本で売られているものだ。
3日目
朝雨が降ったりしていたが風は無く何とか収穫と剪定を学べそうだ。
今日、たまたまロベルト氏の友人が、オリーブを収穫しているという。これからそこに行こうということになった。
この場所が何とも凄い。急斜面で四輪駆動車でなくては、とてもでないが入って行けない。
マルケのこの地域はほとんどが粘土質で、ジメジメして滑る。「こんな土地でオリーブができるのか」と思ったくらいである。
また逆に「このような土でないと駄目」と言われたら、私の土地では育たない事になってしまう。乾燥地帯でなくては駄目だ。と、いうオリーブ情報は間違っているようだ。
この地域の気候は、私の住んでいる地域に似ている。年に3回程雪が降り、雨もよく降るようだ。
急斜面を降りてオリーブ畑に着く。15個ほどの蜂箱が置いてある。オリーブの授粉のためだそうだ。
「バリバリ」という音が聞こえる。電動式のバリカン風な収穫機を使っている音である。下に敷いたネットの上には、実と枝葉が落とされている。
早速、体験させてもらった。アルミでできた3メートルほどのアームがあり、その先に熊手風の振動するものが付いていて、それで実を落とすような機械である。少し重く、これで作業を一日中続けるのは辛そうだ。
この機械での作業能力は、3人で20分/本。これでは1日ても24、5本しか出来ず、400本あったら16日間掛かる事になり難しい。樹高を低く抑え、収穫が楽にできるようにする。品種によって早摘みし、遅摘みとの間隔を延ばせば、時間確保が出来るのでは、後は機械力の問題。
剪定を、難しく説明している日本人園芸家がいたが、その論でいくと専門家が必要になるが、この地域では好きなようにやっている
チーズ工房見学
山羊と牛を飼って、搾乳したものでチーズにしている農家さんが経営している所である。山羊が30頭、牛がやはり🐂30頭近くいて、昔懐かしい匂いが漂っている。
ここでは、チーズを数種類買ってきた。この農園もオリーブが植わっていた。近くに、アンチョビを作っている人がいて、そこでは日本人2人が働いているということだった。
アドリア海に面したレストラン
2時過ぎにアドリア海の海岸沿いにあるロベルト氏の娘さんの友達が経営しているレストランを訪ねた。
ボーノ、いける。ワインも中々いける。イタリアに来て良かった。
ワイナリーの見学
今度はワイナリーの見学である。このワイナリーは、若い夫婦が経営していて、中々のワインを作っている。
それぞれ数本買ってきたのは言うまでもない。
パーティ
夕食は、ロベルトさんの友達を呼んでのパーティである。ベルギー人の夫婦は鶏の煮込みと度数の高いワインを持ち込み、地元の友達はチョコレートケーキを作って来て、後はロベルトさんのトマトスパゲティ、サラミ、プロシュートetc.。
会話は専らイタリア語だが阻害された感じは無くごくフレンドリーに過ごせた。しかし私と娘は時差もあり早めに引き上げる事にした。
その後、ベルギー人の夫人のギター伴奏の歌が入って皆んなで歌ったようだ。
4日目
今日は、農業高等学校(ISTITUTO di ISTRUZIONE Ssperiore ‘CELSO ULPIANI)に、ワイナリーとオリーブを観に行くという企画が組まれていました。
ロベルトさんはつい最近まで大学で教えていたそうだ。その伝かこの農業高校学校を訪問する事になった。
建築家の教授が校内を案内してくれることになった。まずは校長先生にご挨拶。品のある女性。恐れ多くも校長先生にも案内していただく事になった 何と校内にワインの醸造所にある。世界は広い。案内された4階全体が施設に当てられている。
ここで作られたワインは一般に売られている。たまたま器を持って買いに来ている人がいた。
日本人が来ている」と、日本大好きな女性教授が現れた。一緒に記念撮影である。
他の施設も案内してくれた。先ずは古くからあるコレクション
上はFIATの初期のトラクターである。
昔は大学構内に農園があったが、今は他の場所にあると言う。そこを案内してくれた。この大学が持っている農園は何と70ヘクタール。広くて農園全体を見通すことはできない。ワイン畑とオリーブ畑が続いているが、鳥かドローンしか解らない世界だ。
ここでは、ワインの定食の仕方と管理を学ばせてもらった。
ローマ時代からある古い街 アスコリ ピチューノを訪ねる
100年以上前からのカフェ。情緒ある。左下の写真の階段の造りなどは痺れる感じである。建築家魂が蘇った。右の写真は古い教会である。
ワイナリーCIUCIUを見学
売れているワイナリーに行こう。と、いうことになった。ワイナリーはCIUCIU.。
年間200万本売っているとか。このワインは日本でも売り出されているという。
左下の写真は、足踏みしていた葡萄を機械的にしたもの。150年以上前の物なので勿論手動で動かすものだ。
この日はハロイン。多くの子供達が街をキャンディを求めて大騒ぎである
最後の晩餐
ロベルトハウスに帰っての夕食。何故か天ぷらを作ろうということに決まっていた。ロベルトさんと庭の野草を見ていた時に「これは食べられる。天ぷらにしたら美味しいかもしれない」などと話していたことがきっかけのようだ。
チコリやセージ、フェンネルなどの庭の野草を摘み、それにトマトを加えて天ぷらにしようという試みだ。娘と陽子さんをパートナーにして勿論シェフは私である。
野草を使っての天ぷらは初めてだが上手くいった。チコリをパリッと揚げるには娘のアイディアが活かされた。
ロベルトさんの第一声「Buono!」(美味い)この晩の4人の酒量が上がった事は確かである。食べ残った天ぷらは明日天ぷら蕎麦にするという。陽子さんのアイディアだ。
自然の恵みに感謝したい。
今回のこの旅は有意義であった。現在、イタリア品種のオリーブを220本育てているが、指導者から聞いた話やネットでの情報では納得のいかないところが数々あったが、直にオリーブ農家さんや搾油所に行って搾油工程や機械などを学ばせてもらってハッキリと理解できたことである。 また、後に始めようと思っているワイン葡萄についても、憶測ではなく「こうすべき」ということが見えてきた。正に「百聞は一見に如かず」だった。
2018/10/28〜11/01
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