常識でない違識を身に付けよう
常に常識に囚われていませんか?あの人がこの人が皆んな信じているなら安心。だからですか?
常識とは、ある社会で,人々の間に広く承認され,当然もっているはずの知識や判断力を言います。英語ではcommon sense。(大辞林 第三版引用)
常識とは、正しい知識や判断であるとは言ってはいません。あくまで多くの人が信じている知識や判断のことなのです。そして、多くの人が信じていても正しいとは限りません。
常識を正しいと思えばその知識を知る必要があります。わたしは天邪鬼ではありませんが、常識の全てを信じる勇気は持ち合わせてはおりません。
「バナナにダイエット効果がある」と広まると、スーパの売り場からバナナが消えてしまいました。
「何々がガンの予防になる」とテレビのワイドショーで放送されれば、その日の家庭の食卓に、ガンの予防となる食事が出てきます。しかし、その内に普通に戻ります。常識に流されていく世界です。その世界にわたしはいないようにしています
「この常識少し違うのではないの?」
いつの間にか常識を疑うクセをもってしまいました。疑えばそれを立証したくなります。そのお陰でいくつか新発見が生まれました。
何十年もその世界の常識を守り続けている人たちがいます。医療界の人々です。
降圧剤を30年も飲み続けていても正常にならない血圧。
インスリンを20年打ち続けても下がらない血糖値。
しかし、よくもまぁ20年も30年も治せない療法を続けています。治らないということは根本の考え方が間違っていることに気付かないのでしょうか? 「数値は下げても病気は改善されない」と、叫ぶ人医療者を知りません。常識から離れて独りぼっちになるのが怖いのでしょうか?
医療界では、治療法が常識化され、それを逸脱しなければ問題にはなりません。そのことで患者さんを死に追いやったとしても安全圏の範囲です。
下手に理論や治療法を変えて間違えて患者さんに不幸な事態を与えれば罰則というリスクを負うことになります。だから変えない?のでしょうか。良く理解できません。
「病気は薬で治す」これも常識です。無間地獄を味わっても薬で病気を治すという常識を捨てません。この常識を変えようとする常識はないようです。
「違識」辞書で引かないで下さい。わたしの造語ですから辞書にはありません。「その常識、違うのではないの、納得いかないなぁ」と、疑問をもつ意識のことと理解してください。
何かの研究をしているとき、常識に囚われていると新しいものは発見できません。常識から離れた世界に「新発見」という宝物が隠されています。
わたしの弟子たちは気の毒です。非常識を教えられているのですから。わたしの理論は何処にも存在しません。良いのか悪いのかの判断ができず、師匠が言うのだから「しようがない」と、寛容のある弟子たちは受け入れているのでしょう。
でもこの頃、弟子たちの間でもボチボチ成果が現れてきているようです。師匠の非常識を納得してくれているのではないでしょうか。
世の中に出ている健康法や予防法。違識してみて下さい。「本当にそうかなぁ」と思うものがたくさんあります。
何にでも反対するのではありません。正しいことと、そうでないものを違識し、常識を鵜呑みにしないことなのです。
皆さんも周りの常識を違識してみませんか。