独学の勧め
英語にStudy(勉強)とLean(学ぶ)という語彙がある。私は若いときから勉強が大嫌い。与えられたものを素直にやることに抵抗があったようだ。だから真面目に宿題はせず、夏休みの終盤から授業始まっての2,3日、苦痛の毎日だった。試験前の一夜漬けは私の常套手段。「前もって勉強しておけばいいのに」そんな忠告は聞き流していた。でも、自慢ではないが、常にかなり上位の成績を勝ち取っていた。
一級建築士の試験勉強は、朝の通勤の時、数冊の問題集を見て私の試験勉強は終わり、何故なら、夜はクラブでギターの弾き語りや一杯飲むのに忙しかったからだ。そして試験前日、六本木で夜明けまで飲んでいた。当日は友人に車で試験場まで送って貰った。
それでも一次試験は合格した。決して頭がいいとは思わない。問題集を見てどんな問題が出て来るのかを推し量っただけである。
二次試験は図面の試験だったが、常に仕事で図面を書いて過ごしていたので問題ないと勉強は一切せず。
極めつき振るったのは試験日、その日テニスのダブルスに出場していて、どうせ勝てないだろうから終わってからでも時間には間に合うと高をくくっていたら勝ち進んでしまい、パートナーに理由を述べて次の試合はデフォにしてもらい急遽試験場に駆けつけた。40分遅れ、試験官の冷たい目、ここは一芝居と、オーバーに息せき切って座り込んだ。そしてなんとか失格は免れた。試験は合格した。(いかれている。真似しないで欲しい)
そんなだから、これまで一貫して「必要な物だけを学ぶ」という姿勢を崩していない。
あるとき、建築の現場で図面を見ていたら「何かおかしい」という気持ちが働いた。数日後、官庁の役人が来たときに「これはおかしいですよ!計算したらこの庇の配筋量が少ないですよ!これだと落ちでしまいます」と、のたまわってしまった。
「そんなにいうならその証拠を持ってきてくれ」冷たいお役人さんがおっしゃった。
さぁ大変だ。構造計算なんてやったことがない。「さっきは口から出任せです」とは言えない。やるしかない。それから数件の本屋さんに駆け込み、構造計算の手引き書を数冊買ってきた。しかし、ほとんどが勉強をするための本ばかり、でもその中に、実践向きのわかり易い本があった。(その本は今でも大事に持っている)
そしてそこからが眞々田流の真骨頂。巻末に近いところの庇に関する部分のみを開き、その計算法を頭に入れようとした。が、初歩から知らないのだから、計算方式から学ばなくてはならなかった。でも何とかなった。
私の思惑通り図面は間違っていた。それから数日後、公団住宅の庇が落下する事件が何件か起きた。役人は大慌て。
その後、私は構造計算が得意となっていた。
必要だから学ぶ。その精神は今も変わっていない。不必要な物までストックして置くほど、私の脳にキャパシティはない。何でも知りたがる人は脳が広いのだろうか?それとも空っぽなのだろうか?
振り返って人生をみてみると、しっかりと先生について学んだ物は少ない。強いていえば武術くらいか?
だから今でもStudy(勉強)をしたことがない。常にLean(学ぶ)。そこにCreation(創造)を加えている。
真面目に勉強してはいけないと私はいわない。基礎はしっかりと学ぶ必要はあると思う。が、必要になった時からでも間に合う。その方が、真剣さが違いしっかりと覚えられる。
前もって覚えて置く必要はどこにあるのだろうか。長い間ストックしていたら知識なんて物は賞味期限切れになってしまう。
実践に役に立つ物を学ぶ。人生を楽しむために学ぶ。最終学歴を済ませ勉強しなくてもすむようになって時を過ごし、定年になりやることがない人生より、やることや楽しみを見つけ、それを学ぶ。「ワクワク」してくる。そして創造だ。
日々是好日。まだまだ、若くいられそうだ。
令和3年7月9日
眞々田昭司