理屈っぽい(IYI)は仕事ができない

 

知識は豊富にあるが、何をやらせても上手くできない。するとそれに対して言い訳と自己弁護が返ってくる。常に安全圏にいようとし、危ないことには手を出さない。

建築会社を経営していた時、30代の人が求人に応募してきた。

「〇〇大学建築学科卒業、大手ゼネコンに勤めた。そんな人が何でうちなんかに来るの」

素朴な疑問。でも、「しめた」と、採用した。

色々な事を聞いてみると、それなりの答えが返ってくる。それではと、仕事をさせてみると全然まとまらない。どうやら一人で工夫することや知識を応用して一つの仕事をまとめたことがないようだ。

しかしこの人、人のつくったものへの批判はすごい。でも、自分でつくることはできない。典型的なIYIである。

川村二郎さんが著書「学はあってもバカはバカ」の中で、大蔵大臣を2回経験し首相まで経験された宮澤喜一元総理に対して、結局口先だけの人、自分を常に安全圏に置いている人で、自分では何もできない人だったと評していた。

経済は落ち込み、それを変える具体策はもっていない。人のやったことには批判できても自分ではできない人だった。と、私は記憶している。

 

弟子たちに言っている言葉がいくつかある。それを紹介してみよう。

 

1 知識は少しあれば良い。必要なのは知恵と知能である。

知識をひけらかす人がいる。何の意味もない。知っているだけでは物事

は展開しない。知識は、誰かがつくってきたことである。それを知ってい

るだけでは用をなさない。知識は参考にするだけで良い。「どうするか?

どうしたら良いか?」頭(知恵)を使う。そしてそれを実現させる知能を身

につけていくことである。

 

2 知識から創造は生まれない。

人の考えたこと。つくったもの。これらの知識を持っていると、新しい

ものをつくろうとするとき、それらが邪魔をして新しい発想が浮かばなく

なる。

空想をしたり、こんな風になるんだろうなと想像していくことが、新し

い創造に繋がっていくのである。

 

3 学んだことを知識にするな。必要なものならその場で覚えろ。

学んだことや知ったことを、脳に記憶させていくことを、私は知識と

言っている。

必要のないものまで脳の記憶脳に記憶させ、試験の時にそれを引き出

してくる試験勉強。それが終わればほとんど忘れてしまう。何の役にも

立たない。

歩き方教室での話である。70〜80%の人たちが結構上手く歩けるよう

になった。教室が終わり皆んな帰っていく。しかし、その足取りは普段の

歩き方。

次の教室の時間、皆んなはしゃぎながら練習。前より上手くなった。で

も帰るときは、それまで通りの歩き方。

普段使ってこそ意義がある教室のはずだったが、大多数の人が教室は教

室の世界。

「それ学生時代に身に付けたもの?」

不真面目な生徒だった私には解らない。その日覚えたことを日常に取り入

れる。それで学びが役に立つ。

 

自分の教室を持って25年、長年やっていると情けないことがある。理

論や術技を指導していく際のことだ。

理論や術技は、順序立てて指導しないと理解できないだろうと、カリ

キュラムを組んでいくのだが、多くの人が、前回は前回、今回は今回の勉

強になって、前回の上に今回を上書きしてくれないのだ。

でも、このような人に、過去に教えたことを聞くと

「あれも覚えています。それも覚えています。」

と、いう答えが返ってくる。

これで問題がないかと言うと、実は大問題がある。覚えていることが、

それぞれ独立していて連結性がないのだ。前に教えたこと、今回教えたこ

とを足して行けば、理論も成立してくるし、術技もものになっていくのだ

が、上書きされていない為に、何も形になっていかない。私が教えたこと

が無駄に「あぁ何と言うことだ」なのである。

教室で一生懸命教えたことが無駄になってしまっていることに気づく度

に、何度止めようかとかと思ったことか分からない。

川村さんの言う「学のあるバカ」、ケントさんの「IYI」の典型的なも

のだ。

 

これは学校教育の弊害としか思えない。そもそも教育とは、産業革命時代、起業家が、その仕事に従事する人たちが会社の意向にそって上手く効率よくいくように教えたことが「教育」の始まりである。であるから、教育とは、おかしな事があってもしようのないものなのだ。

だから、学校教育というのは、平均的な雇われる人をつくる為のもの。そう考えることにしている。新しいことを始めることや起業をすることには、あまり役立たないものである。

 

必要なものしか学ばない。これが私の流儀である。過去に無駄な勉強をする暇がなかったということもある。(自分勝手に忙しくしてきた。)それでも、結構発明もして来たし新しい発見やMMSもつくってきた。

 

いろんなことを知っていれば、人との会話には役立つだろうが、たがそ

れだけのことである。趣味で雑学を付ける。それはそれで良いが、雑学に近い知識をひけらかす「学のあるバカ」はいただけない。

学校で勉強することはお仕着せである。どれだけやったか、覚えたかを

試験で判断する。教育と言うものは所詮このようなものである。しかし、

これでは、学があるバカの増産である。

大事なことは、学んだこと、知ったことを、どう自分に活かすか、使うか、応用するかである。

 

言いたいことの本質に戻したい。

顎関節症の例

顎がガクガク、大きな口を開いたら閉じられなくなった。夜寝ようとすると痛くて眠れない。歯ぎしりがひどく歯がガタガタになってしまった。

病院に行ったらマウスピースをセットさせられた。原因を正さない最新医療行為である。こう言うのを「姑息療法」と、いう。

口に入れたものを噛む力を生み出すのは「咬筋」という筋肉である。この筋肉が固まってくると、力を入れないと筋肉を動かせないから、ちょっとしたものを噛む時にも強い力で噛むようになる。そして就寝した時、心拍数が落ち血流がセーブされると筋肉は固まってくる。咬筋も緊張し固まってくる。それが歯に当たり強く擦ることになる。これが歯ぎしりの原因である。ひどくなると、歯が欠けてしまう。

大きく開けた口が戻らなくなってしまうのは、コリをつくった咬筋が、その瞬間固まり、その緊張を解くことができなくなり、閉じられなくなっただけである。

ガクガクする顎は、顎関節筋が固まっているからで、口を開けたとき、固まっている硬い筋肉と筋肉が当たってずれ、ガクガクとなるものである。

口を動かすのは咬筋。と、いうことを知っているはずの高学歴のお医者さん。人に教えてもらうことを待たずに少し考えてみては如何ですか。

「顎関節症は、咬筋と顎関節筋のコリが原因」と、教えてもらわなかった。だから知らない。これは典型的なIYIである。

 

アトピー性皮膚炎

アトピー性皮膚炎は、自己免疫疾患と譲らない医師がいる。前のコラムにも書いているが、免疫は自分の体を守る為のもの。自己免疫疾患は自分の体を攻撃すると言う矛盾した考えである。自分たちが免疫と言う言葉をつくり、それを否定する。論理が破綻している。

アトピー性皮膚炎になった人たちを多くみてきている。途中で来られなくなった人を除けば100%治してきた。

その経験から言わせてもらえば、アトピー性皮膚炎は自己免疫疾患でもアレルギーでもない。

筋肉や皮膚が固まり毛細血管が圧し潰され血液が流れなくなり、代謝が行われなくなり、皮膚や筋肉が老化してしまったものである。

肌が乾燥して、あるいはひび割れてくれば痒みが出てくる。我慢しきれずにかいてしまえば肌が更に荒れてくる。これがアトピー性皮膚炎である。

アトピー性皮膚炎を治すことは難しいことではない。固まった皮膚や筋肉を解して血行を良くしてあげれば良いだけのことである。しかし、多くは時間が掛かる。

カサカサ、ゴワゴワした肌を見て、自分で考える能力があれば、直ぐに自己免疫疾患などではないことが解るはずである。

常識化した理論や権威ある人の意見を取り入れ、決して冒険はしない。常に安全圏で物事を語る。間違った医療を行なっていても、現代の医療の指針に従っていれば良い。皆んながやっていることだから決して批難はされない。

しかし、それだけで済めば何も言わない。阿呆な医師が、ステロイドという悪魔の薬を処方する。最初の結果は良いがその内に最悪となる。病気が悪化してしまうのだ。失望した患者はその医師の元を去っていくが、医師は責任を取らない。そのように苦しんでるいる人たちが多くいる。IYIの為せる技と笑ってはいられない。社会悪である。

 

何故治せない医療を続けるのか

10年も20年も薬を飲み続けて治らない糖尿病や高血圧、心臓病。はっきりしていることは、現代医学が真の原因を把握していないからだ。原因が解らずに治療を進める。当てずっぽうで治療を進めても治る訳がない。それだけなら良いが、長期の投薬で腎機能が壊れ腎不全を起こさせ、透析患者を増産していく。30年前の透析患者数と現在の透析患者数のデータを調べれば直ぐに分かる。

最高学歴の人たちが集まっている医療界。その人たちは何故、水平思考し現在考えている原因の他に真の原因があることに目を向けないのだろうか?

これまでに得た知識は間違っていた。と、いうことになると、それまで学んだ時間が無駄になるかも知れない。でも、それをしなければIYIを抜け出すことはできないだろう。「過ちては改むるに憚ること勿れ」である。

 

知識だけあっても無駄。得た情報を分析し、応用力を持って処し、知恵と知能そして勇気を持って当たることではないだろうか。