懇切丁寧に説明してもできないと嘆く人が多い。すべてマニュアル化しなければ動かないなどという人もいる。
説明過多の文章も多いが、専門語羅列の説明書もあって理解ができなかったので、
長い電話待ちを堪えて、舌足らずの女性の声を聞いても、説明書に書いてあるような訳語の説明、
「それはなんですか?」「そのp・・という略語はなんですか」聞くと、「こんなことも知らないでよく電話してきたな」
という感じの答えが返ってくる。
日本語の欠落だと怒ってみても、購入した最新鋭のビデオは動かないということになりました。
説明不足、中間省略型説明書、日本語の欠落、私のメモ書きにこのような箇条書きが残りました。
私の合気柔術の師にこんなエピソードを聞いたことがあります。
「先生は何も説明してくれないんだ。こうするんだ。だけなんだ。だから忘れないためにメモを取ってきたが、後でみても、
「こうするんだ」だけしか残らない。だが15,6年してやっと其の事がわかったよ」
師は、その師から教えを得ていた時、見せるだけでの細かい説明はなかったと話していました。
皆伝書を紐解いてみたら、中には何々の伝、何々の伝とあるだけで何の説明も書いてない。
こんなのはいっぱいあったと聞いています。ほとんどが口伝で伝えられてきたものだからでしょうが、
それでも「こうするんだ」だけでは相当にわかりにくかったのではないでしょうか?
一概に言えることは、昔の人は説明がなかった。事細かに動作を説明することはありませんでした。
見て覚えるしかなかったように思います。
建築の職人の技術などでも、「ここはこうするんだ」と事細かく説明することはありませんでした。
親方の動作を見て覚えるしか方法がなかったと名人級の職人さんに聞いたことがあります。
技術は口伝というよりも見て覚えることで伝わってきたように思います。
だから「百聞は一見にしかず」という言葉ができたのかどうかは判りません。
武術における技の伝承も同じように伝えられてきました。だから皆伝書に説明文はなかったのです。
それでは中身を知らない人が見ても何がなんだか理解できません。
科学するという考え方がヨーロッパから伝わってきました。
後に反復できるようにする説明をすることの意義を私たちの世代は教わってきました。
私の弟子たちにも、技を理解できるように、科学して論理立てて説明してもなかなか解ってもらえません。
説明不足とは思っていませんが、一般の人の理解を超えてるところに問題があると考えるようにしています。