腎臓は修理のきく臓器
治せば使えます。
本当に移植が必要ですか
「生体腎移植の報酬4割カット」という見出しが2008年3月6日付けの東京新聞の一面に掲載されていました。 私はかねがね肝臓や腎臓、あるいは心臓の移植には疑問を持っているというか、嫌悪を感じています。神がつくってくれた人体を冒涜していると思っているからです。
悪いものは切って捨てて、挿げ替えるという単純な発想から生まれたものです。
腎臓、肝臓などはかなり弱っていても再生のきく臓器なのです。悪くなってきたら、修理をするという発想が現代人からなくなってきています。昔のいろいろな機械や道具は、壊れたら修理をして使うというのは半世紀前の常識でした。現代はパーツを全部交換してしまうと発想です。
人体は修理のきくものということを20年以上かけて証明してきました。腎不全や肝硬変になった臓器も十分蘇ってきます。修理しようともせずに、検査の数値だけを見て、交換しようとします。また手術をしたがります。人事だから簡単に出来るのでしょう。
現代医学では、臓器は修理のきかないものと、最初から考えています。現代医学の病気を治療する武器は、薬しかありません。薬で治らないから「ダメ」という考え方です。現代医学から薬を取ってしまったらどうなるでしょうか。治療をすることができなくなってしまうということはありませんか。
腎臓などの臓器を修理するには、まさに手当が必要となります。私は何人もの使えなくなってしまった腎臓を使えるようにしています。よほどひどくならない限り修理のきくものと思っています。
クリアチニンの値が8を超えると透析が必要とされています。それより上回る12.8の数値を持つ方の腎臓も、透析をせずにすむようになりました。
神が人間の身体をつくったどうかは、私には理解の及ぶところではありませんが、人間の身体は実に見事に作られています。部品やそれを包んでいるものが古くなると、新しく生まれ変わり(再生)古いものは捨てられていきます。これを代謝と言いますが、こんな機能を持った機械を作ることは、今後の世代においても不可能なことであると思います。
代謝だけではありません。病気になったり、部品の調子が悪くなると、ちゃんと修理してくれる機能も備わっているのです。これを私は自己治癒力と呼んでいます。けして自然治癒力ではありません。ただこの装置は時々壊れてしまいます。ですから時々、この調子を診てあげることが大切です。
腎臓の修理も、腎臓への血行をよくし、硬くなってしまった腎臓を軟らかくしてあげれば復活してきます。時には瞬時によくなるケースもあり、修理人もビックリするくらいです。
駅の上や、コンビニエンスストアーの2階に、透析出来る医院が開設されて繁盛しているという話も聞きました。これが正しいのでしょうか。 腎臓の機能を治してあげられる場所がコンビニの上に出来てきてくれると嬉しいいのですが。
ある医師の病気腎移植の問題が一時騒がれました。まだその問題は尾を引いているようですが、切除する必要もない腎臓を切除して移植していたという記事を見た時には開いた口が塞がりませんでした。現代の医師の皆さんに、「臓器は修理のきくもの」なのですよ。と教えてあげたい。