医療は進歩した?
先進医療。医療の進歩。こんな形容の言葉をよく耳にする。しかし現実この言葉を素直に肯定できるだろうか?
医療とは、医術で病気を治すことと大辞林にある。先進医療と言えば、現在に於ける最新の医術という事になる。ではその医術が本当に進歩したのか?
先進医療の形容を受けているのは、近年急激に進歩した医療機器を指してはいないか?特に検査機器、手術器機などの進歩には目を見張るものがある。医師がスクリーンを見ながら操作する姿はSF映画を観ている感がある。
急激に医療機器が発展した背景には、カメラメーカーやIT会社、家電メーカーなどの参画がある。カメラ、IT、家電といったものは全く医療には関係のない世界と思っていた。 件のメーカーたちは世界の時代の進歩をリードしてきた。その素晴らしい技術と開発力が医療機器の世界を変えたのだ。30年前にこの事を誰が想像しただろう。
現在の検査機器、「ここまで分からなくてもいいのではないか」そう思えるものまで出現している。
本来、医療機器は医療を補佐すべきものである。だが昨今は医療機器が医療をリードしている。医師は検査機器に頼り、自らの勘と知識を失っている。また人間性がなくなり、問診しながら聴診器を当てて診察する姿は見られなくなったという。
現代医学での治療のスタートはまず検査。医師はどの検査を受けさせるかを決める。
検査機器が病気を判断し医師がそれに従う。機器の持つ性能が医療の質を決めている。その機器にデータがないものは、たとえ病気でも「病気ではない」と判断されてしまう。
こんな例がある。
「手が痺れて持ち上げられないほど重く、体全体もだるく重い」
この症状を持ってTさんが病院に行った。お決まりの検査を受けたが「どこにも異常はない」と帰されてしまった。仕方がなく違う病院に行ったが結果は同じだった。しかし辛い。知人の紹介で私の所へ来た。Tさんの症状を作っていたのは、肩、首、脊柱の筋肉のコリである。それが上腕神経を圧迫し、また脊椎神経も圧迫していた。それらのコリを取って治ったが、これで異常はないというのだろうか?放っておけば固まって動かなくなるのは必至だ。
検査の基準やデータにないものは病気ではない。それが現代医学の判断だ。その判断をつくったのはメーカーの作った検査機器である。医師の診断が薄弱になってきてはいないだろうか?
人の細胞はそれぞれ違っている。そこには複雑な遺伝子の絡みもある。それを一律の基準に当てはめて判断する。その結果、数値だけを追いかけるものになる。そしてその数値を下げる為の治療に終始するようになってしまった。
経験の多い医師なら病気の微妙な違いが判るはずだ。それが病気を治していく鍵になる。何か間違ってはいないのか?
医療機器の開発者の多くは企業である。医療業界に儲けられる場所があると彼らは参画してきた。だから彼らは利益を追求するのは当然である。儲けていなければ彼らの存続はない。次から次へと新種の機器を開発していく。そしてそれを医療界に売り込んでいく。3年もすれば今の機器は時代遅れとなってしまう。良いものが生まれてくるのは良いことであるが、人間性のないものが出来てくる。医療を考えた時、まず医術の進歩があってそれを補う機器であって欲しい。医療機器が医師をリードするのでは本末転倒ではないのだろうか。
増えた病気
現在、ガンにかかる確率が男性は55%以上になると、あるテレビ番組で報じていた。二人に一人以上がガンになるという訳だ。何故こんなに増えてしまったのだろう?
それは優れた検査機器が小さなガンまでも発見してしまうからだ。しかしある医師は、その中にはよく似てはいるがガンでないものも存在していると指摘している。それでは益々増えてしまう。しっかりと区別を付けてもらいたいものである。
本物の小さなガンが発見されるのは決して悪い事ではない。しかしそれが治っていないから問題が起きる。患者が増えた分だけ死亡者数が増えた。これが問題なのだ。確実に治す事のできる医療があって、早期発見がある。それが正しいあり方である。
医療機器は進歩したが、医療は旧態依然のまま。それでは小さなガンなど発見されない方が良い。
早期発見には確実な医療が必要だ
病気は早期の発見が決め手と言われてきた。早めに治療を始めた方が治る確率が高いと言ってきた。確かに理論的にはそうである。だがそれには病気を確実に治すことができる医療があるという前提だ。
まだ小さなガンが急激に大きくなることはまずないし、大きくなるには何年も掛かかる。また大きくならないかも知れない。しかし間違った治療を施せば即座に大きくなり進行する。早期に発見されたガンをいじる事が死亡者数を増やした事に拍車をかけているのだ。発見されずにそのままでいた方が死なずに済んだ。という例がきっと多い事だろう。
現在の常識を捨て真の医療を知ろう
高血圧や不整脈、大した病気でないのに何十年も病院に通う。私なら高血圧は3ヶ月もあれば正常に出来る。不整脈もそれほどはかからない。10年も15年も治療を続けている糖尿病も半年もあれば改善出来る。これが治療ではないのか。
患者もいい加減我慢強い。文句も言わない。あまりにも人々は大事な自分の身体を医師に任せすぎている。絶対服従に近い。言いたい事も言わない。嫌われたら困るからだろうか?脅され、嫌みを言われても付いていく。他の治せる人に行きたいが何処へいっても同じと諦めているのだろうか?
治す方法がある。医師が知らないだけだ。水漏れのように「早く治してくれ」と叫べばよい。
治せる医療への転換
現代医療の治療を受けて苦しんで人が多い。間違った医療のせいで病気になる。これを医源病という。例をあげたら切りなくなる。日頃、気の毒な人たちを見ていると、現代医療に対してどうしても批判的な論調になってしまう。
早く医療関係者の人達に目を覚まして欲しい。このままでいったら大変な事になる。
現在の国民総医療費は34兆円程度であるが、政府は、2025年には国民総医療費は50兆円を越えると試算している。現在の日本の国家予算の55%近くになる。これは異常である。そしてそのお金の大部分が薬メーカーと医療機器メーカーに流れていく。何かが違っている。
医療費が何故そのように増えて行くのか?その答えは簡単。現代医療が病気を治せないからだ。発見される一つ一つの病気がその都度治って行けば年々増える事はなくなり、むしろ減っていく。
どんな病気でも改善できる
私は現在までに多くの病気を改善してきた。その病種は190種に及んでいる。ただ改善させてきたのではない。そのほとんどの人が、現代医学から見放された人たちである。
不治の病と言われてもあきらめる必要はない。間違った常識を捨てて考えてみて欲しい。どんな病気でも死なない限り改善できると私は思っている。ただし「但し書き」がある。
○病気が進行し手遅れになっている場合
○死の治療を受けている場合である。
これから挙げていく例は特例ではない。現実に人々の中に起きていることだ。
膝痛
渋谷区在住 Mさん 女性 72歳
「もう五年も整形外科に通っているのだけれど、膝が痛くてやっと歩いているの。ずーっと電気を当てているのだけど治らないの」
あきれた話である。そんな話を聞きながら膝間接部の筋肉のコリを取っていく。1時間後、彼女は「あら、痛くはないわ、嘘みたい」と言って帰っていった。たかが膝痛、5年も通って治す事ではない。調べてみると膝の痛みで長年悩んでいる人が多くいることが分かった。そして膝痛が高じて歩けなくなり車椅子で動くしかなくなったり、寝たきりになった人もいる。
膝痛は、膝の周りの筋肉や関節の筋肉が固まり、色々な形で神経を圧迫し痛みを作るものである。その固まった筋肉を解せば解決する。簡単な事だ。
膝の痛みなのに薬が処方される。痛みを薬で感じなくさせる対症療法だ。治すことはしていない?治す手だてがないのだろう。電気とは電気治療器のことなのだろうが、硬く固まった筋肉のコリを単に暖めただけでは解れる訳がない。当てている時は暖かくて気持ちが良い。しかし効果は全くといってない。また超音波治療器のように筋肉を刺激するものは、逆に筋肉を固めてしまい膝痛をより深刻にさせる。機器を当てている際の気持ちの良さに騙されてはならない。
腱鞘炎
「この間腱鞘炎で病院に行ったのだけど、医者に、なかなか治りにくいんだ。その内に治るかも知れない。と言われたよ」
「俺もやった事があるのだけど抗生物質を渡されたよ」
この話は先日電車の中で聞いた中年男性二人の会話である。
スイス ローザンヌ在住 Cさん 男性
海外でも同じような例がある。スイスのある音楽大学のピアノ科の主任教授が腱鞘炎になった。自国だけではなくフランスにまで出かけて行ったが、どちらの病院でも抗生物質を注射されただけだった。2、3日したら元の痛みが出てきてピアノが引けなくなった。たまたま私がその大学の学生に指導していた。その学生の「先生の腱鞘炎を治して欲しい」という依頼を受け治すことになった。30分程度で痛みを解消させた。
教授は「腱鞘炎になる前より腕は軽くなっている」と喜んでいた。
フランス在住 Eさん 女性
フランス人のピアニストが私の施術を受ける為に来日してきた。彼女のご主人とは何回か会っていて彼の仕事も助けていた。その紹介と言えるだろう。
自国やアメリカの病院では治らないと言われピアニスト生命を脅かされていた。2時間の施術で治った。それまで彼女は腕を持ち上げることもできなかった。ただこれまでの演奏姿勢を続けていたら再度腱鞘炎になってしまう。悪い姿勢が身体を壊していくのだ。30分のクリニックでこれも解消した。現在素晴らしいピアニストとしてヨーロッパ諸国を廻っている。
腱鞘炎も治せない医療。「なかなか治らない」と人のせいにする。私たちには「治せない」と言うべきだ。現代医学はあまりにも無知だ。
腱鞘炎は、その痛みの部位によって病因は様々だが、概ね前腕の伸筋のコリや上腕の伸筋のコリが原因だ。それらを解せば解決する。難しい事ではない。
メニエール病
練馬区在住 Yさん 女性
「15年前にメニエール氏病になって、それから毎年2、3回苦しむんだけど、治らないの」
この人は難聴、耳鳴り、頭痛も抱えていてそれが常時付きまとっているようだ。施術を始めて30分後、首のコリを取って解決である。私にとってさして難しい事ではない。
病院に行けばメニエール病は耳鼻咽喉科に回される。どうやら現代医学は内耳に原因があると考えているようだ。それでは治らない。どうも根本的に病因を理解していないようだ。
椎間板ヘルニア
和歌山県在住 Mさん 男性75歳
Mさんは椎間板ヘルニアと診断された。病歴は長い。これは普通の出来事である。だが私が驚いたのは、75回もブロック注射をしていたという事実である。それだけではない。併せて座薬も打っていた。そしてその両方とも効かなくなり、あまりの激痛で立つ事も体を動かす事も出来なって入院した。ベッドに寝ていても右脚には常に痛みがあり、身の置き処なく苦しんでいた。病院ではブロック注射も効かなくなったので強烈な痛み止めが注射される。しかし毎日は危険ということで数日おきに打っているという。
私が診るに至った経緯は割愛するとして、まず椎間板ヘルニアという診断は間違っていた。どう診ても座骨神経痛であった。75回もブロック注射されていた為に筋肉は硬く締まった様に固まり、ズタズタに分離していた。
約2年間も痛み止めの注射をしていた。「痛みをとる」というその場限りの対症療法を続けてきた。いくら何でも「これでは治らない」と医師は思わなかったのだろうか?どうすれば治せるか分かっていないのに、{患者が来た。何かしなくてはいけない}と行った治療だろうか。あるいはこれを打てば幾らになるという商売なのか。
これが当たり前に行われているとしたら、とんでもない医療である。間違った治療がより病気を深刻化させていく。医源病を作り出す。罪作りである。
ブロック注射によってきつく締まった様に固まった筋肉。数カ所の部位を解し柔らかくしていく。2時間後痛みがなくなった。立って歩けるようになった。しかしまだ完全ではない。
件の医師が、私が取った療法を最初に行っていれば、何年間もMさんは苦しまずに済んだ。しかも歩けなくなる様な事はなかった。
椎間板ヘルニア、整形外科では直ぐに手術だ。ただ全ての人が治る訳ではない。かなりの人が手術の失敗で苦しんでいる。私はその人達も多くケアしている。どう見ても無駄な手術である。私には、どんな重症な椎間板ヘルニアでも身体に傷つけることなく治す自信がある。
検査を受けた時のMさんの身体は右に曲がっていた。その状態でX線写真を撮った。当然腰椎が曲がった様に写り、椎間板がはみ出たように見えたのであろう。それで椎間板ヘルニアと判断されたと推測できる。
自然治癒力任せの治療
「ブロック注射をして痛みを取ると、その間痛みを忘れ自然治癒力が出て治っていく」とあるペインクリニックの医師はいう。しかしこれでは自然治癒力のある人のみが治って行くと言うことで、自然治癒力が衰えている人は治らない事になる。病気になると言うことは自然治癒力が落ちるからではないのか。なんとも粗末な理論である。それならブロック注射をする前に自然治癒力が充分にあるかを確かめる事と、無ければ発揮出来るような体にさせる事が最初ではないだろうか。
ブロック注射をしてそれがだんだん効かなくなっていく。それを見ながら75回も打っていった。何とも情けない治療法である。
現代医学は、椎間板ヘルニアだけではない、他も病気も同様に治す方法を知らない。難しい理論を組み立て、全て薬と手術で片づけようとしている。
無策の対症療法、姑息療法
起きている症状に対応する。そしてその場限りの処置を講じて納めようとする。現在医療も代替医療と言われるものも同じである。その結果、何十年も進展なくその療法を続けさせられている人が多い。おそらく何千万人もいるだろう。その結果莫大な医療費を無駄使いしている。
病因を根本的に取る療法に変えなくてはならない。薬を与えて経過を見ている様な療法では絶対だめだ。
医療の変換
私の医学は、人を傷つける事はない。人に優しいものである。7000年以上続いている医療の考え方の根本が違っている。出ている結果だけに対応する医学は限界がきている。根本を正していく医療でなくてはならない。そうかと言って現代医学の全てを否定している訳ではない。優れたものが多くある。その良い部分と私の医学が結びついた時に、素晴らしいものに転換していく事は確かだ。例えば以下の様なものだ
検査と分析
緊急医療
一部の外科手術
これを読んでいる広い見識を持っている医療関係者の中に、私の医学に興味を持つ人がいてくれる事を望んでいる。その方々には喜んで私の医学を提供するつもりでいる。
病気で苦しんでいる多くの人達がいる。しかし現在、私と弟子たちの力は微力。多くの人は救えない。苦しんでいる多くの人を救うためには私の医療を実行してくれる人が必要である。真摯に取り組んでくれる人の参加を希望している。
早く医学が進歩していく事を願っている。
2011年02月15日