それぞれの指には目的がある

手の指にはそれぞれ名前がついている。
親指、人差し指、中指、薬指、小指。親指、中指、小指はその大小や位置の関係で生まれてきている名前であると思うが、
人差し指や薬指は少し違っている。

何故、人差し指というのか。人を指し示すに適した指だから名前にとったのだろう。しかしこれが面白い。
名前をつけた人は解っていてつけたものなのだろうか?

Oリングテストでもかまわないが、伸筋力、屈筋力の項で行った検証法を用いて検証してみよう。

こぶしを握っている逆側の手の人差し指を任意の方向の、出来れば人に向けて指差してください。
そうして試験者に押してもらうと、しっかりと力が入ることが実感できると思います。

伸筋力、屈筋力の項で人差し指を立てた場合、押されると力が抜けたことを実験しました。
それとは結果が矛盾していそうですが、人差し指はその名の通り、人を指し示すことに向いている指で、指し示したときに力が入ります。他の指に替えて実験してみてください。力が抜けてしまうことに気がつくはずです。

薬指を検証してみましょう。この指は薬を指の先につけて薬を確かめるために使う指です。
薬でなくても塩でも、砂糖で何でもこの指を使って味を確かめます。
それを人差し指だったり親指であることはあまり使わないしぐさです。

実際に塩や砂糖を使っても良いのですが、そこまでしなくても充分検証できます。
薬に指先を触れるようにして人の肌に触れて、試験者に押してもらいます。充分に力が入ることが確認できるはずです。
親指でやってみてください。力を失うはずです。薬指は薬を確かめたり、味を確かめたりするに適した指であることがわかります。

指にも目的があることがわかったと思います。他の指もまたそれぞれに向いているものがあることがわかっています。

足の指は手の指のように名前で呼びません。第一指、第二指・・と呼んでいきます。足の人差し指などと呼ぶことはありません。
第2指といいます。また呼んでいたらそれは間違いです。

指の名前を付けた人が、このようなことが解っていたかどうか知りませんが、使い分けると面白いことが解ります。
実はこれは勁につながっていて微妙に変化することで力の差が出てくるのです。

勁や勁力というものを、身体で充分に実感できるようになってくると体感できるようになります。

勁とは何か

多くの武術雑誌や武術課の本に、発勁とか寸勁とかいう言葉が出てきます。
ただその内容を見ると本当に理解して述べておられるのか甚だ疑問を感じざるを得ません。

私の師匠も「発勁の科学」という本を出されています。発勁とはとても人間業と思えない力を発することと捉えられています。
では勁とは何でしょうか?

まず勁を知らなければその先の、発勁や寸勁、毫勁などというのも理解できるわけがありません。

簡単に説明していくと、一部の筋肉の中には指を動かしたり、手を動かしたり、また足をうごかしたり、
その指を動かしたりする腱が走っています。その腱は身体の中で繋がっています。

人差し指を動かせば、足の第2指にまで届くということです。その途中の経路は肩であったり、背中であったりします。

右手の人差し指を押されたときに対応する力を使うときに、肩の筋肉を使ったり、その先の背中の筋肉を使って対応できます。
またその先の足を使うことも出来ます。

勁とは腱の繋がっている範囲ということになります。指圧や整体でいう経絡の経とは違います。
この勁を使えるようにするには、伸筋を使うと容易に出来るようになります。
ただし屈筋では勁を使えないということではないので誤解しないようにしてください。
上達していけば、引く力にも勁を使うことが出来るようになります。

次のような検証をしてみましょう。被試験者は左手で拳を作り水平に前に出します。
足は左足を前に出して斜め構えにして立ちます。試験者は右手を開いて被試験者の拳に当て押してください。

①普通の状態で。

②腕の伸筋を意識する。

③腕と背中の伸筋を意識する。

④腕と背中、そして右足を踏ん張るようにします。拳から右足まで一本の棒のように繋がった感覚を作ります。

さてこれで試験者に押してもらいます。結果は次の様に出てきます。

①対等の力比べになるでしょう。

②やや強くなったこと自覚できるでしょう

③かなり強くなったことが判ります。

④力の差が歴然とします。うまく繋がった場合人間の力とは思えないほどのものとなります。

うまく張りがつくれたときに強い対応ができることを確認できたはずです。

勁とはこのようなものです。押されたときに手や腕で対応するのではなく、全身でも対応できるように身体を作ることなのです。
勁をつくることのできるのは、腕や背中や足だけではありません。目や口、首、もちろん腹などでもつくることができ、全身に及びます。

力の大きさの程度によって、どこまでの勁を使うかなどの使い分けもでき、力を加算させることもできるのです。
後は訓練することによって、勁の働きと強さ増していくことができます。

発勁

読者の皆さんは一番興味深いものではないかと思います。
常識では考えられない力を発揮できるというもので体術を心がける人にとっては憧れの技であります。

最初にこの発勁を紹介してくれた人は、松田隆智氏であるかと思います。
劉雲樵門の徐紀氏が理論化したものの紹介であったかと思います。

私の開発した打拳はこの発勁と同一かどうか自分では判断できませんが、同じようなものであるとして私理論を述べていきます。

発勁は瞬時に力を発揮しますが、じわじわとゆっくりと発勁することもあります。
難しい業ですので充分に勁を自覚したものでしか発揮することはできません。

発勁は勁を磨き、勁を動かしていくことで瞬間的に力を出していくものです。

発勁は体当たりだという人もいますが、体当たりのように重心を移動させなくとも、充分に発勁することができます。

勁を動かすというのは、たとえば足で地を踏ん張っているときに、その勁と筋肉を脹脛、大腿部、腰部、背中、肩、上腕、前腕そして拳に筋肉を移動して使いながら筋肉の力を加算していき、最後の拳にいたったとき足し算して合計された力を解き放つものです。
これを瞬時に行うわけです。いたずらに瞬間的に力を入れて打拳することではありません。
多くのなまじっかの武術家が用いているものとは違います。

筋肉を移動して使い分けしていくことで発勁を使うことが出来ます。

発勁の威力はどの筋肉をどう使い、それを勁に乗せて発揮できるかで違ってきます。そこが訓練していくときの面白味です。
この修行には纏糸勁(てんしけい)、螺旋(らせん)、功(こう)、太極拳の掤(ぽん)、捋(リー)、擠(ジー)、按(アン)、靠(カオ)などの
訓練が有効的です。そこで筋肉の動き、力の移動を充分に出来るようになってからでないと使えない業といえます。

寸勁

寸とは一寸のことで30.3 mmのことです。寸勁とは30.3mmしか離れていない位置から、拳や掌底で発勁することです。

距離がないので加速するという考え方は出来ません。「加速せずに強い力を発する」普通の常識を超えている範囲です。
よく中途の人にやらせるとただ瞬間的に力を入れて押し込むようなことをしていますが、寸勁とはそのようなものではありません。

勁を知り筋肉をある程度自由に使えるようになると、距離は関係なく打拳できるようになります。
発勁のところで述べていますが、拳より最も遠い部位から作られた筋肉の緊張をいろいろな筋肉の緊張を加算しながら、
拳にいたって爆発するといったものが寸勁です。力を入れるという発想からは遠く離れています。
何より、どこの筋肉をどう使うかを自由にできるようにならなければできません。

普通の打拳は受けたときに「パン」とか「パシッ」という擬音で表現できるように当たって痛い感覚があります。
寸勁を受けた場合に瞬間には痛いという感覚はなく、しばらくして「じわっ」と効いてきます。これが特徴です。
そして普通の打拳では受けたときにそのままですが、寸勁を受けた場合、方向によって違いますが、尻餅をつくとか、
吹っ飛んでいくなどのことが起ります。

打つというより、打たれて押されるといった感覚が正しいかと思います。

こんな例えをしてみましょう。建物を壊すときに、30年以上前に起った浅間山荘事件というのがありましたが、
あそこで建物を壊すときに、大きな鉄の塊をクレーンでつるしてそれを振り子代わりにして、建物に当てて壊していました。
これを普通の打拳に例えますと、威力のあるパワーシャベルを使ってアームを建物に当てていくと折れるように
ぐずぐずと壊れていきます。これがまさに寸勁発した感覚であると思います。