日本でスポーツという言葉がいつから使われてきたのか、はっきりしませんが、
おそらく昭和以降で明治、大正時代には使われてはいなかったと推測できます。
明治、大正時代には、運動、競技、運動競技といったと記されています。

スポーツの語源はラテン語で「気晴らしをする」「遊ぶ」といった意味を持つデポルターレ、
古いフランス語のデスポールという言葉を経て、11世紀にイギリスに入り、その後5世紀の時代を経過した1
6世紀にスポーツの語形を得たと辞典には記されています。

スポーツが今日のように運動競技の意味合いが濃くなったのは19世紀後半からであるようです。
それ以前のスポーツは、狩獣の意味を持っていて、紳士の遊猟をさしていたようです。
現在では、競争や楽しさを中心としたものと移り変わったようです。
現代的には、競争と遊戯性をもつ広義の運動競技の総称として使われるのが正しいようです。

明治以前の古くから伝承されていた武術をスポーツ化した人物に嘉納治五郎という人がいました。
嘉納治五郎は柔術を修行し、それを柔道の名にかえ新しいものを作り上げました。世界的に広げられた人でもあります。

柔術の世界だけではなく、剣術の世界でも剣道という名にかえスポーツになったものもあります。
それまでの伝統的な技や形態でなく、運動競技としてのスポーツの意味合いが強くなりました。そこにはルールが生まれました。

武術の世界には競技としてのルールは存在しません。なぜならルーツは人殺しの技であったからです。
しかしそこには日本人が持つ道徳性からくる教義や規範が存在しました。ですから、

「この技を使ってはいけない」

「喉をついてはいけない」

「関節技を使ってはいけない」

「腕や手を掴んではいけない」

などというのはありませんでした。

嘉納治五郎が起こした柔道から、ある約束されたルールの中で競おうという競技に変わりました。
今や柔道はオリンピックの競技のひとつとなり、全世界に広まっているといっても過言ではありません。

ただ武術を語るときに、柔道のようにスポーツ化したものをベースに考えることはできません。
まったく異なるものと解釈すべきと思います。

武術の世界には、体重の差や身長の差を考えることはありません。年齢別も考えられません。女子も男子も同じスタンスに置かれます。

力の弱いものが力の強いものを制するそこに技が生まれてきます。そこがややスポーツと武術の違いであると考えます。