伸筋力と屈筋力

この言葉を使い始めたのは、わが師の吉丸慶雪先生であると記憶しています。
私が、先生の下で修行していた時期に先生が熱っぽく語られていたのを昨日のことのように思い出します。

伸ばして使う力「伸筋力」、手前に引こうとする力「屈筋力」、日本人は屈筋力を使うから駄目で、
手前に引く力も屈筋力で引っ張るのではなく、伸筋力が前に伸びていきそれが帰ってくる力を使うことだ。
これは先生の発見された理論でした。

それを練習する方法をつくられて、私たちは毎週それを繰り返し指導されました。お蔭様で私の身体に充分身につきました。
押す力を引っ張る力に変えるという発想は先生独自のものだったと思います。
腕の前腕の内側には掴むために使う屈筋があります。そしてそれを伸ばすための伸筋があります。

親指や人差し指は身体の内側にあり屈筋支配になり、薬指や小指は伸筋支配になりますが、
使いようによってはどちらも伸筋に使うことができます。この指はこうだと決め付けることはいけません。

ただ伸筋は力を入れると使いにくくなる筋肉で、力を入れると伸筋が使えず屈筋が働いてしまいます。

伸筋というのは、何か物を持つとき、まず掴み上げていきますが、そのときに前腕の内側の筋肉が収縮緊張して力を発揮していきます。
ではそれを降ろそうとしたときには、前腕の背の部分の筋肉が動いて、手を広げて掴んでいるものを離していきますが、
そのときの前腕背の部分の伸筋を動かすときには力を使っていません。また力を使ったら手を広げることが出来ません。
このように伸筋を使うには力を使ってはいけないことが理解できたと思います。

人を単に押す場合でも、普通の人は力をこめて押してしまいますので、屈筋を使うことになります。
屈筋は筋肉収縮するために手前に引く力が働きますので、押すには不向きな筋肉の使い方になります。

次のような検証をしてみましょう。

披試験者はこぶしを握った腕をまっすぐに伸ばし、同じ側の足を前に出し、押す力や引く力に対応するように構えます。
試験者は手を開き、被試験者のこぶしの部分に当て、同じ方向の足を前に出して押します。

① 被試験者はこぶしのつくった側の反対の手の親指を立てて試験者に押してもらってください。力が入らずすぐに押されてしまいます。

② 次は一刺し指です。同様に簡単押されると思います。

③ 今度は小指を立ててみてください。押されてもびくともしないはずです。

④ 薬指も強いですが、小指ほどではありません。

以上の実験の結果をこのように考えてみてください。親指を立てたときに屈筋側の筋肉が働きます。
その影響がこぶしを握った側に移り屈筋力を促します。押されてはいけないのに、手前に引っ張る力が働いてしまうので、
簡単に押されてしまうのです。

小指を立てた場合、伸筋側の筋肉に影響が働きます。同様にこぶし側の筋肉に伸筋力が働くので、より一層押す力が強くなるのです。

もっと面白いこともできます。試験者は、押す際に被試験者のこぶしをつくった親指か人差し指を、
開いた手の親指で軽く叩いてから押すと簡単に押すことができます。これは屈筋を刺激して屈筋力を働かせてしまうということです。

身体のあらゆる部分に、伸筋や屈筋に影響を及ぼしていく場所があります。
それを意識的に刺激して相手の力を失なわせてしまう方法もあります。
一見して判らないので、傍目に見たら摩訶不思議な技に見えます。

伸筋と屈筋だけのことを考えても数種の技の展開が考えられます。

一人で5人を押したり、引っ張ることができます。常人の域を超えているので摩訶不思議に見えますが、理論を立て、科学していけば、「何んだこんなことか」と理解できると思いますが、技として使えるか使えないかは別の問題です。

伸筋と屈筋

人の身体は筋肉で出来ているといっても過言ではありません。またほとんどがタンパク質で出来ています。

いろいろな動作を脳が命令し神経を通して筋肉に伝わります。筋肉にはそれぞれ受動体(レセプター)があり、
神経を通してきた命令は、レセプターに微量のカルシウムが分泌されることになります。
そのカルシウムがレセプターに吸収され筋肉の組織である、アクチンとミオシンを動かし筋肉の束である筋束が収縮していき、
筋肉運動が起きていきます。

命令が解かれたとき、微量のマグネシュームが分泌され、今度は弛緩していきますが、
筋束の動きはなく自然と弛緩して筋肉が緩んでいきます。一方、逆の動きをつくり筋肉を元に戻そうとする動きがあります。
命令を受けて収縮していく筋肉「屈筋」に対してその筋肉を伸ばそうとする筋肉「伸筋」があります。

「握れ」という命令を受けたときに、まず筋肉が収縮して物を握ります。

多少重い棒のようなものを縦に持った場合、命令を解けば時間差があっても筋肉が弛緩して棒が落ちます。
もうひとつの命令、「離せ」と発したときには瞬時に棒が落ちます。

握るときに使った筋肉は前腕の内側の筋肉で屈筋です。そして離せと命令したときに動いた筋肉は前腕外側の筋肉が伸筋になります。

結んで開いてをした場合、屈筋と伸筋が交互に動きます。

張りをつくる

「張る」とは広辞苑では、はること、ひきのばすこと、またその具合とあります。
私のいう「張りをつくる」とは意識的な力を使わず、常に対応できる状態に置くことです。

人は何か行動を起こそうとするとき力が入ってしまいます。その結果動きが固くなりあるいは拘束されてしまうこともあります。
力を入れずに力を発すること、何か矛盾した言い方ですが、非常に大事なことなのです。

言葉を変えていえば力を入れたときに使う筋肉を使わず、力を入れないときに使える筋肉を使うということなのです。

ただ単に「握れ」と思えば、前腕の内側の筋肉が動き握ることになります。このときに動かしている筋肉は屈筋ですが、
これを「握れ」と思ったときに意識的に前腕の外側の筋肉「伸筋」を使って握ることも出来ます。
そのときには前腕内側の屈筋は動いていません。前腕の屈筋を使うには、
またその筋肉だけを使って動かすことは余程訓練しない限りできないことです。
ただし手を開放するときには前腕内側の筋肉を使うことになるので多少の力を必要とします。

前腕の屈筋の動きを作るには、首筋、肩、上腕の筋肉を使って使うことが出来ます。
前腕の屈筋を使おうとすると力が入り、首筋、肩、上腕の筋肉、あるいは全身の筋肉を緊張させてしまいます。
またそれだけの筋肉を動かためには相当のエネルギーを使うことになります。

物を持つ、握る、動かすという行為を屈筋だけでしか動かせないと思う身体があります。

簡単に「それなら力を使わずに動かせばいいんだ」と思ってみても、
今までの動きをつくってきた貴方の身体の筋肉はそう簡単に思うように動いてくれません。

伸筋を使って、屈筋がつくる動きをつくるには、ある程度の訓練が必要となります。
伸筋を使っていくには最初に発想の転換をする必要があります。

「持つ」という行為を考えてみましょう。持つにはその重み以上に力を入れるしか普通はありませんが、
それを「下げる」「支える」という発想に替えるのです。

買い物袋を持った場合、指に引っ掛けぶら下げれば力を入れる必要はありません。
腕や手がちぎれない限り持つことが出来ます。また胸の前に物を持った場合には、肘を曲げ、肘をからだに当てて支えるように持てば、
力を一切使うことは必要ありません。

これらのことがいろいろなスチェエーションによって型としてつくることも出来ます。

人に手を引っ張られたときに、力で対抗して屈筋を緊張させ、手前に引こうとするのが「普通の人」の動きです。
これを、買い物袋をぶら下げたときの発想で、力を要れずに腕全体の外側の筋肉で耐えるようにすれば、
同じような力の持ち主同士なら、引かれることはまずありません。

目一杯力を入れて引っ張っている人と、力を使わず平気な顔をして対応している人。
そのときの両者間には大きな差が生じます。またエネルギーの消費量にも大きな差が出てきます。

発想を変えて、伸筋でいろいろなものに対応できるようになり、伸筋を使うクセをつけ、訓練を進めていくと、
何らかの動きをするときに伸筋使うことが自動的に出来るようになります。そしていろいろな動きを身体で覚えていきます。

「張りつくる」はいろいろな動きに、伸筋をやや緊張させて対応するものです。
ただ常に緊張しているのではなく、いろいろな動きにすばやく伸筋が反応して張りをつくるということです。

屈筋が緊張しないので、硬く緊張した筋肉を弛緩させる必要がなくなるので、コリがなくなります。

コリは特に屈筋を長時間緊張させていたり、瞬間的に極度の緊張をあたえたりすると弛緩できなくなり固まっていき、
それが助長されコリとなっていくのです。

伸筋を使えるようになると、肩コリ、首コリなどがなくなってきます。
竹刀を「雑巾を絞るように持つ」などというのは、屈筋で固めることで、まず早い動きが出来なくなります。

また、拳を強く握るなどというのは、拳のスピードを遅くしていることに繋がります。
そして力を入れて打っていたらますますスピードはなくなります。

力を入れると屈筋によって手前に引くことになるので、拳の威力を自分でなくしてしまっていることになります。
拳は張りをつくり腕で打つのではなく、身体全体の動きで打つのです。
ちなみに私が打つジャブ級の打拳でも、相手は5メートル程度飛んで行きます。まだ思い切り打ったことはありません。

「張りをつくる」ことは後に説明していく、「勁力」を発揮することに繋がっていきます。