臓器移植の陰に
2017/06/28の産経ニュースに、
「臓器移植法20年・・・」
という記事がありました。 (最後に記事の全容を掲載しています)
臓器移植を待つ患者(レシピエント)数に対して、臓器を提供する側(ドナー)の数があまりも少なく、日本ではなかなか臓器移植が進んでいない。
臓器移植に使われる臓器は、臓器提供者(ドナー)が脳死した時に使われるもので、提供者自身が生前に「提供してもよい」という登録をした人の臓器のみ使えるもので、その数が日本はあまりにも少ないので、何とかしなくてはならない。と、いうような内容の講演があったようです。
何かが違っている。発想が狂っている。
現代医療は「悪いものは切って捨てる。使えなくなった臓器は交換してしまおう」という対症療法です。
「悪いものは切って捨てる」は、どうにか許容範囲。しかし、「使えなくなった臓器は交換しよう」は、許せません。神を冒涜しています。
臓器移植ということを考える前に、悪くなった臓器を治すことが先決、何故、治す、修理して使う、という発想が起きないのでしょうか?
「治らないから移植をして命を救うのだ……」
「そうかなぁ」
「治らない」といっているのは、「薬で治す」というカードしか持っていない現代医療の言い分です。
薬で病気は治っているのか?
一般的に知られている高血圧症と糖尿病で検証してみましょう。
最初に、降圧剤(高血圧の薬)やインスリン(糖尿病の薬)を飲んでいる方に質問です。
「治っていますか?」
降圧剤やインスリンを20年も30年も飲み続けている人たちが何千万人もいます。しかし、ほとんど治った人はいません。
「高血圧症や糖尿病は治らない病気です。できるだけ悪くならないように薬を飲み続けなくてはいけません」
と、嘯(うそぶく)く医者もいます。これが現代医療です。
薬を飲み続けても害が無ければ問題はありません。しかし、多くの場合 腎臓を壊し、腎不全をつくり、透析をするようになります。医療が病気をつくっていくのです。これを医原病と言います。
私の理論と施術で治療すれば、高血圧症、糖尿病も数ヶ月単位で治っていきます。そして、ここで取り上げている臓器も治せる病気なのです。
臓器移植という恐ろしいことを考える前に、臓器をどのように治していくか、を考えるのが先の話です。
臓器移植について、前出の医師に聞けば
「将来良い薬が開発されていけば別だが、現在は移植しかないんだよ」
と、言います。
この医師の言うように、新しいものの研究は開発者任せ。その研究者は、全て薬ありきからスタートしています。臨床の医師は研究には加わっていません。これではいつまで経っても治せるものは出てきません。
心臓、肝臓、腎臓、膵臓の全ての臓器は修理ができるものです。肝硬変になってしまった肝臓、腎不全になってしまった腎臓、心不全状態になった心臓、私は、これらを数多く治してきました。
「これは手遅れです」と、いう末期の人は別として、臓器移植の順番待ちをする位の余裕がある人なら、臓器は修復可能なのです。
「俺が死んで、俺の臓器で人が助かるなら提供してもいいよ」という考え方は立派です。しかし、そういう善意の人の脳死を待っている。と、いう医療を、わたしは理解できません。
使える臓器がないから治せない。と、手をこまねいていないで「臓器を治す」ということに全力を尽くすべきではないでしょうか。
怖い脳死判断
それに極めて問題なのは「脳死は医学的に死である」という考え方です。現代医学が絶対なのでしょうか。私にはそう思えません。
私は「脳死状態」と言われた人を蘇らせた経験を持っています。
例1
事故を起こし頭部をコンクリートに打ち付け意識不明に陥(おちい)りました。何の反応を示さなくなった女性を担当した医師は、「脳死状態です」と、はっきり家族に言ったそうです。しかし、家族は納得がいきません。その女性の上司だった人から「治して欲しい」と依頼されました。
会った瞬間「この人助けられる」と感じました。直ぐに施術を始め1時間後、目にほのかな反応が出てきました。更に1時間後には、誰にも分かるように、目を開ける仕草をしたのです。
「脳死はしていません。反応できないだけです。」
そう家族に伝えた時から、週1回の施術を行うことになりました。様々な物語をつくりながら3年後、その女性は、立派に社会復帰できるようになりました。
例2
50代男性。心筋梗塞(?)で倒れ、その後反応がない状態でした。家族は「目に反応があったような気がしています」でも、通常の呼びかけには何の反応も示さずいわゆる脳死状態でした。施術を重ねて現在、呼びかけに応えられるようになってきました。
同じような人がまだいます。いずれも、医師に脳死と言われた人たちです。ドナー提供者にはなっていなかったので、助かったようなものです。
事故などで体にダメージを受けたとき、全身の筋肉を固めてそのショックに耐えようとする働きが起こります。そのショックが強かったり、常日頃体が固まっている人は、その反応が強く出て、固まった筋肉が弛緩しなくなってしまいます。
その強く固まった筋肉の中にある神経を圧迫したり切断すると、体のあらゆる部位で感じた情報が脳に伝わらなくなり、呼びかけや、チョットした刺激、あるいは微弱な電気的な刺激には反応ができなくなってしまいます。しかし、死んでいる訳ではありませんから、その固まった筋肉を解いてあげれば反応できるようになってきます。
反応しないから脳死だと決めつけるのは大変な間違いです。反応できるようにしてあげれば、反応を示してきます。
ドナー登録をしている貴方が、何かの事故が起き意識不明に陥っているとき、反応のない貴方をみて家族がオーケーすれば、貴方は殺されドナーになってしまいます。大丈夫ですか?これホラーですよ。
産経ニュースから
日本より遅れて臓器移植法が成立したにもかかわらず、日本よりも脳死ドナーの数が多い韓国の状況にも言及し「韓国では救急病院に対し、脳死者の発生を斡旋機関に通報することが義務付けられ、この制度によって脳死ドナーが多く出ている。3年前のデータを比較しても韓国の脳死ドナー数は日本の9倍にもなる」と説明する。
産経ニュースからの引用です。しかし、これを穿(うが)って見てみれば、韓国ではよく観察しないで、「反応がない。これは脳死している」と簡単に判定しているのではないでしょうか。
日本の人口は、1億2千5百50万人です。それに対して韓国の人口は5千62万人。日本の人口の40%です。それなのに、韓国の脳死者が日本の9倍というのは異常です。日本臓器移植ネットワークの皆さん「おかしい」とは思いませんか?
脳死の判定が、その患者を担当した医師によって判断される。これは極めて危険です。私の経験したケースでも、脳死していない患者さんが脳死扱いにされていたのです。
何百例という脳死の内の一つが脳死でなかった。それなら奇跡が起こった。と言えるかも知れません。しかし、わたしが出会った脳死していると言われた3人共に脳死などしていなかったのです。
脳死という判断基準は間違っています。いや脳死というものは存在しません。意識不明で無反応な人を蘇りさせる技術があれば、その人たちは救えるのです。
駄目になった臓器を修復させる技術があれば、臓器移植という神を冒涜するような治療は必要ありません。
難しい世界ではなく、病んだ臓器を治す、復活させる。ということに心血を注いでもらいたいものです。
2017年7月13日
眞々田昭司